最初はちょっとだけのつもりやったのに、「耳が痛くならない」とか「着け心地」とかのワード使いだしてるの見たらしっかり共存する気やんってげんなりしてまう
乳歯が2本くっついて生えてきたことがある。
生えてきたことがあるというか、生えている歯のうちの1本が妙に大きく平べったかったので歯医者さんが調べたところ、2本分の歯ぐきから大きな1本が生えていたらしい。
2本生える予定の場所に合体した1本しか生えなかったので、結局その乳歯は1本分の場所取りしかしてくれていなかった。
乳歯のときは仲が良かった2本も、永久歯では別らしい。永久歯2本は1つの場所を取り合いながら生えてきた。横幅がないので前後に2本並んでいる。
そのでっぱりによく唇や舌が引っかかって噛んでしまう。口内炎がたくさんできる。
いまは、唇の裏が切れていて、かつ常にでっぱっている歯が当たっているためずっと痛い。なので患部が歯に触れないように、マスクの下では常におもしろくない奴がやる中途半端な変顔みたいにほっぺを膨らませている。
マスクを日常的につける世情でよかった。
口が半開きでも、鼻の穴を膨らませていても、マスクが全部隠してくれているのですごくありがたい。だんだん口周りが「普段は人に見せない部分」である感覚になってきている。
マスクはパンツと同じ意味を持つのだろうか。鼻を出してマスクを着けている人はたぶん腰パンをしていてカルバンクラインと書かれたゴムがその人のシャツの裾から見えている。
ご飯を食べたりお茶を飲んだりするのが、排泄と同じ行為に分類されるようになるのだろうか。口周りは親しい人にしか見せない部分になって、一緒に食事をすることは性交渉や接吻の手前のような行為になるのだろうか。
寝るときにまで不織布のマスクをしてたら息苦しいからマスクは着けない。素顔を見られるのは性交渉してるときか一緒に食事をしてる時か一緒に寝てる時だけ。
人間の三大欲求を満たすときにその姿を見せていいのは大切な人にだけ!みたいな価値観ができるかもしれない。
もう早速、最近マスクを着けずに人前に出るのが恥ずかしくなってきている。
マスクを着けていなくてはいけないのはすごく面倒くさいし、病気にかかって健康に生活できなくなるのは嫌なのではやくウイルスがなくなって前みたいに生活したいともちろん思う。
でもマスクを着けることがどんな意味を持って、それがどれだけ育つのか確かめてみたい気もする。